願いをかなえたいなら、かなえたい願いをただ思うだけ、なのに、たいていの人は、願いをかなえられません。 – やん神を読書

願いをかなえたいなら、かなえたい願いをただ思うだけ、というきわめてシンプルな宇宙の法則。それなのに、たいていの方は、この法則を教えても願いをかなえられません。
なぜだかわかりますか?

それは、その方法を選ぼうとしないからです。

以上を、金城幸政さん著 『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』の138ページから引用させていただきました。

ネガティブな雑念がいろいろ浮かんだり、願いがかなわなかった時の自分への言い訳等を事前に用意してしまうため、たいていの人はこの宇宙の法則を選ぼうとはせず、結果、願いもかなわないそうです。

願いをかなえたいのは自分なのに、それを妨害しているのも、これまた自分。

でもこれはスピリチュアルの観点からすると正しい反応なのかも知れません。

というのは、この世界に生まれて来たのは物理的な世界で不自由を味わい、そこから自由になる喜びを感じるのが目的だとしたら、あまりにも簡単に願いがかなってしまっては、喜びが半減します。

なので、わざわざ複雑さを持ち込んでゲームを難しくして、ゲームのクリアがより大きな喜びとなる方を選んでしまうのかも知れません。

テレビゲームの世界でも、あまりにも簡単にクリアできてしまうものは、名作とは呼ばれません。
名作と呼ばれるものは、ゲームのクリアがかなり難しいものばかりだと思います。

ゲームのクリアが難しければ難しいほど、クリアした時の達成感が大きくなるのは、事実です。
逆にゲームのクリアがあまりにも簡単だと、ほとんど喜びはありません。

ゲームを作った人は、簡単にクリアできる裏技的なものを知っているかも知れません。
でもそれを使って簡単にゲームをクリアしても全然面白くないでしょう。

ゲームを作った人が、自分が作ったゲームであることをすっかり忘れて初めて
ゲームの製作者は自分のゲームを楽しめるでしょう。

神さまがそのなんでも出来てしまう退屈さからこの世界を創ったのであれば、この世界は、難しくそしてネガティブさがあふれていたほうが、飽きないで生きていくことが出来るのでしょう。

その方が、なんらかの目的を達成した時には達成感が大きく、さらにポジティブに生きたときに、その喜びや素晴らしさもより多く感じることができるのでしょう。

MIL48050

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