Fear 怖れ
基本的に、怖れとは「肉体を維持し続ける」という目的を満たそうとするエゴの波動に共鳴することを許す感情のひとつです。
以上を、バシャールと宇宙連合 (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.38より引用させていただきました。
以下書いてあることをまとめてみます。
怖れは肯定的にも否定的にも創り出されることがある。
肯定的な怖れとは、ただ単に引用したような肉体の維持のためであり、否定的な怖れとは自分自身を知ることに対する意志の欠如とのこと。
……ということで、肉体の維持には怖れは必要なもののようです。確かに本当は危険なのにまったく怖れを感じなければたやすく命を落とす可能性が考えられます。
肉体の維持とは無関係な怖れとは、プライドを傷つけられる怖れだとか、そういう種類の怖れでしょうね。
考えてみるに、それによって命を落とす可能性はゼロなのに、怖れるというのは世の中にいっぱいありますね。
上司に怒られてそれが直接的原因で死に至るというのはないです。
公けの場で何かをする時に失敗するのではないかと怖れ、その怖れによって命を落とすというのもないです。
命を落とすことはないこれらのことに対する怖れというのは、本当の自分を知ることに対する怖れなのかも知れません。
当たり前なのですが、人間って、それで命を落とすことがないと分かっていても、それを怖れるってことがあるんですね。
確かに世間ではよくこう言います。
「何を怖れているんだ!それで命をとられることはないよ。やってみなさい!」
あるいは
「死ぬ気になればなんでもできる!」
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