皆さんの文明において、いわゆる本当の現実だと信じられているものすべては、根本の「存在」から派生したひとつの哲学的な見方にしか過ぎません。この根本の「存在」から「知恵」が、「知恵」から「観念」が、「観念」から「感情」が、そして「感情」から「知性」が生まれるのです。
以上を、バシャールと宇宙連合 (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.21より引用させていただきました。
以下に書いてあることをまとめてみます。
哲学的には、体験できるもの、想像できるもの、考えることのできるものはすべては存在自身の一部であり、実際に存在すると言える。
思考も様々な概念も存在も存在する。
「存在」の中に存在する分割することのできない創造の完全性から、物理的な現実次元へのエネルギーの移動、多様化、そして特殊化の話です。
思考や知性はこの物理的な現実から創り出されるもの。
……ということで
ここでも順番が逆のようです。(思考が現実を創っているのではなかった?)
先に物理的な現実があって、そこから思考や知性が創り出されている。
「感情」から「思考」が生まれる?
「感情」から「知性」が生まれる?
では、知恵とか概念とは、何なんでしょうね。(それらは思考ではない?)
知恵と概念、そして、知性と思考との違いは?
「感情」から「思考」が生まれるのだとしたら、どうして世の中が嘘ばかりなのかが、納得がいきます。
知性や思考というのは、常に感情への後付けなのかもしれません。
それにしても面白いですね。
いままで私は思考が感情を創っているのだとばかり思っていましたが、ひょっとして逆なのでしょうか。
思考は現実をつくっていない!?
現実とは、存在 → 知恵 → 観念 → 感情 の時点で既に創られている?
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