宇宙との関わりの中で自己を振り返ること、これが宗教となりました。ただこれは、宇宙と自己が分離しているという考え方や見方を通しての観点であることを、忘れないでください。
以上を、バシャールと宇宙連合 (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.63より引用させていただきました。
じゃあ正しくは、宇宙と自己はひとつであるという観点で自己を振り返れば良いことになりますよね?
最近NHKで臨死体験についての特番をやっておりいずれコンピューターが心を持つようになると言っている人がいました。
その人の仮説では意識とは蓄積されたデータの関係性である、というようなことを言っていました。
無機質なものが意識に目覚め心を持つようになったとしたら、そもそも命って何なんだろう?という疑問がわきます。
コンピューターが意識を持ち心を持つようになったら、それは命を持っていると言ってもいい気がします。
しかしこれは逆に考えると、コンピューターが意識を持てるのであれば、私達が意識だと考えるものは存在しないのかもしれません。
意識と言う状態は存在するが、個々の意識と言うのは存在しないのかもしれません。
私達は単なる超高性能のコンピューターに過ぎず、そのコンピューターがいわゆる生体ロボットに搭載されているだけです。
もし将来的にコンピューターが意識を持ったと確認出来た時、それは意識と言うものはひとつであり、個々の意識と言う自覚は錯覚であると証明されることになるのかもしれません。
命なきものが意識を持てるのであれば、命あるものが持っている意識、「個々の意識が存在する」というのが怪しくなってくると思うのです。
そもそも意識などと言うものは存在しなかった。
意識と言う状態がただあるだけなのかも知れません。
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