雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
これは、反転すると、このようにいうこともできます。
現実に対してどのような意味や価値を付与するかは、すべて自己責任であり、また、そこには第三者が決して踏み込みことができない、絶対的な自由がある、と。
とあります。
この前の記事の続きがこの記事です。
すべてが無意味で無価値だとしたら、生きることも無意味で無価値なのでは?
そんな疑問が湧いてしまいます。
でも、先の記事を反転すると、だからこそ私たちは意味づけや価値づけを完全に自由に行なうことができる!となります。そしてそれゆえに、すべての責任は自分にあるのだとなります。
バシャールの言葉にもこうあります。
私たちが体験することは、百パーセント私たち自身に責任がある!だそうです。
(ここでいう体験は心的体験ってことなんでしょうね。現実を心がどう捉えるかが体験であるという意味での体験なのでしょう)
すべてが本来無意味で無価値であるからこそ、私たちは百パーセント自由であり、自由であるがゆえに体験することは百パーセント自分に責任があるのだ、となると思います。
これを一地球人的な常識で言い換えてみると、次のようになるのかも知れません。
もうすでにそうであるものはどうすることもできない。だから受け入れるしかない。
しかし、もうすでにそうであるものをどう解釈するかは、百パーセント私たちの自由だ。
そして、その百パーセント自由だった解釈の責任も当然百パーセント私たちにある。
自分の人生は自分が意味づけたようになっていく……
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