雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
「さとり」とは、自我の消失だ。が、学習や修行を通してその自我の消失に挑んでいるのは「自我自身」、つまり、さとりたいと願う自我がありつづけるかぎり、「さとり(自我の消失)は訪れないという構図ができ上がる。
とあります。
さとりたいと思うのは誰あろう自我なので、さとりたいと思ってる間は自我は消えていない?
苦の原因は、『空』という存在の原点を見失ったから
その原点に返るには「自我」を滅すること
しかし「自我」は、勉強や修行によっては滅することはできない
なぜなら、滅しようとしているのが「自我」だから
……ということで
この後、自我を滅するには何もしないことと続くのだが、この「何もしない」のも自我ではないのか?という疑問もある。
でもだから、行為をやめることが手放すなんだと続くんだと思う。
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