「さとりを開く」という言葉を、難解にとらえる必要はない。それは「ハートを開く」のと同義だ。しかも、この捻じれを開くための努力や修行も必要ない。 : 雲 黒斎著『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』をバシャール的に読む

雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に

全体意識と分離意識の間にある「捻じれ」をなくせばいいんだよ。
この捻じれは、自分と自分以外を分離・区別したがる「心の壁」。
必要なのは、ハートを開くことだけだ。
「さとりを開く」という言葉を、難解にとらえる必要はない。それは「ハートを開く」のと同義だ。
しかも、この捻じれを開くための努力や修行も必要ない。第一ステージのクリア条件を満たした時点で、自動的に開く仕組みになっている。

とあります。

第一次ステージのクリア条件とはなんでしょう?
第一次ステージの目的は、自分は神ではなく、さらにこの世は幻想ではないと自分に信じさせることでした。ではそのクリア条件とはすべてをとことん味わい尽すこと?

人間は自分が神であることもこの世は幻想あるいは夢あるいはゲームであることを忘れ、ありとあらゆることをやってきた……はずだがどうやら、このゲームにまだ未練があるようだ。多くはまだこのゲームを続けようとしている。

映画『マトリックス』で、仲間を裏切った男は辛い現実よりも快楽を味わうことのできるマトリックスに戻ることを選んだ。
男はせっかく本当の現実に目覚めたのに、エージェントに頼んで記憶を消してもらい、自分の望む人生をセッティングしたマトリックスへと帰っていった。

同じように、さとりを開いて、すべての人々が自分であると分かったら、すべてに対してやる気をなくしてしまうかも知れない。
自分と他人という分離した関係だからこそ面白いからだ。

たった一人でボードゲームをやってもつまらないだろう。

たった一人で4人の役をやり『モノポリー』をやってもつまらないだろう?
でも私は子供のころ、そうやって遊んでいた。(^-^;
これは子供だったからこそ、そうやって遊ぶことが可能だったのかも知れない。
でも大人には無理だ。

さとりを開いた状態で生まれて来て、そして、再びさとりを開くために、さとりを閉じていく。
そうやって開くために閉じられたさとりを再び開く条件は整った。

さとりを開くという経験をする為には、さとりを閉じた状態というのが必要だった。

今までは一度死ななければさとりを開けなかったが、アセンションの時代、死ななくてもさとりを開ける時代になったということか?それほど人類はいろんなやりたいことをやり尽したってことか?

そういうことなんでしょうか?


もっと あの世に聞いた、この世の仕組み

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