雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
「私から見て」という限定された見方は、ありのままの中立な状態を見過ごしてしまうことになる。
とあります。
『自分』という感覚は、万物からかけ離れて存在すると錯覚された感覚だそうです。
だから、ありのままの世界ではなく、「自分から見て」という制限された世界を見てしまうとのこと。
『何か』を『何か』として認識、あるいは部分を切り取って限定的に理解することで、自分が存在のすべてであることを忘れてしまったそうです。
確かに「私から見て」という見方は限定されていると思います。
しかし、私が「私から見て」以外の見方をしていると思っても、所詮それも「私から見た」見方の一つには違いないようにも思います。
私(エゴ)が在る限り、それは免れない気がします。
しかし、「私から見て」というのは限定された見方であり、物事のありのままを見ていない、という知識は生活に役立つと思います。
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