雲 黒斎さん著の『あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
幸せは「新たに手に入れる必要のあるモノ」ではなく「すでに手にしているモノ」、いや、「おまえ自身」なんだよ。
(中略)
幸せは、これ以上”幸せになる”ことはできない。何かをする以前に、すでに幸せだからだ。
とあります。
さあどうなんでしょう?
ただ単に幸せの定義をそう決めたから引用したようなことが言えるような気もします。
幸せの定義を、ものを持っていること、やりたいことをやっていること、等々に変えてしまうと、引用したようなことは成り立たなくなります。
人間はそのままで幸せな存在であると定義するか、それとも、人間は欲しいものを手に入れると幸せになると定義するか、その違いでしかないような気がします。
バシャールもすべては中立であると言っているので、人間の存在状態も、中立であり何も意味づけされていない状態が真実の姿だと思われます。
この本では幸せになるためにあれやこれやするのは、幸せとは新たに手に入れるものという根源的な過ちの上に成り立っている罠であると断言しています。
男はこれ以上男にはなれない如く、幸せももうすでに幸せなんだから、幸せにはなれないと……。
でも、男は誰が見ても男ですが、幸せは個人差があってハッキリとこれが幸せだとは言えないようにも思えます。
で、読み進めていくと、そういうことなのかと理解できます。
『状況と幸せには関連がない』という気づきが人生観を変える。 → これに関しては特に問題は感じません。その通りだと思います。幸せ感には個人差がある、と言うことを突き詰めれば、状況と幸せには関連がないと同じになると思います。
幸せは、どこかの選ばれし者の特権!
幸せはたくさん努力しないと得られない特別なもの!
↓
これに関しては、私はそういう先入観は持っていなかった。
幸せはもっと幅のゆるいものだと考えていた。
ではあるが、何々があれば幸せなのに、と言う思考の仕方は常にしていた。
お金がないから、才能がないから、努力が足りないから、運がないから、誰も認めてくれないから幸せにはなれない。
↓
お金がなくても、才能がなくても、努力しなくても、運がなくても、誰も認めてくれなくても、幸せになってもいいんじゃない?と神様は言うだろう(とこの本では書いてある)
でも、お金があっても、才能があっても、努力ができても、運があっても、誰かが認めてくれても、それはそれで幸せです。(^-^; これも幸せが心の状態であるからです。
……ということで、いろいろ考えてみてこの問題は
幸せを心の状態であるとするのか、環境の状態であるとするのか、という問題である気がします。
つまり大金を持っている気持ちを幸せと感じるのか、大金を持っていることを幸せと感じるのか、その違いです。
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