雲 黒斎さん著の『あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
この「不幸な人」は、誰に強制されているわけでもないのに、「よいこと」に無関心でいるんだ。「悪いと思うことに」関心を寄せているんだ。「悪いと思うこと」に関心を寄せることのほうが、「よいと思うこと」に関心を寄せるより好きなんだ。自分から望んで「悪いと思うこと」を引き寄せているんだ。それがその人にとっての「よいこと」なんだ。
自分のことを「幸せだ」と思う人は「幸せ」だ。自分のことを「不幸だ」と思う人は「不幸」だ。まさに、「思いどおりの人生」じゃないか。ほら、神はすべての人の希望を、いま、この場で、そのまま叶えてくれている!
人は、自分が関心をもったものを引き寄せる、当たり前の話だね。だからほら、多くの精神世界の書籍に書かれているように、「思考は現実化する」んだよ。
とあります。
「よいこと」に無関心とは、「よいこと」を愛していないということ。
「悪いと思うことに」愛を向けている。
なぜ「悪いと思うことに」愛を向けるかというと、「悪いと思うこと」を愛することが好きだから。
「よいと思うこと」を愛して好きになるよりも、「悪いと思うこと」を愛して好きだから。
「悪いと思うこと」に愛を向けて、自分が「悪いと思うこと」を引き寄せるほどに、それは(「悪いと思うこと」を愛することが)その人にとっての「よいこと」だから。
「悪いと思うこと」に愛を向けて、「悪いと思うこと」に関心を寄せていれば、当然自分のことを「不幸だ」と思うだろう。
そして、自分のことを「不幸だ」と思った瞬間、本当に自分は不幸になる。
なぜなら、幸福も不幸も、自分自身が決めることだから。
自分のことを「幸せだ」と思えば本当に幸せになるし、自分のことを「不幸だ」と思えば本当に不幸になる。
どっちになるかは自分が決めること。
人は、自分が関心をもった(自分が愛する)ものを引き寄せる。
だから、「思考は現実化する」
以上、、引用した文章を、愛という方向性から再構成してみました。
で、大切なのは、だからといって、悪を野放しにして良いとは言っていないことです。
戦争を無くしたいなら、戦争を憎んで戦争そのものに”関心をもつ”のではなく、平和を愛して平和に関心をもつことです。
戦争を愛するのではなく平和を愛すること。
そうすれば結果的に戦争は無くなるのです。
愛の反対語が無関心であるのなら、愛するとは関心をもつこと。
関心をもつということは、それを愛するということ。
そして人は愛するものを引き寄せる。
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