性格はプリズムに例えられます。白色光がプリズムを通り抜ける時、可視光と呼ばれる光の帯(スペクトラム)に分解されます。同様に性格は、完全ですべてを含む分割されていない意識を、その性格の見せる様々な側面に分解します。それを使って自分の現実(皆さんが日常の体験と呼んでそこに反映させている物理的現実)を感じ、そして創造しているのです。性格のプリズムは観念、感情、そして知性(または思考)の3つの頂点からできていることを覚えておいてください。
以上、ダリル アンカ (著), 関野 直行 (翻訳) 『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.26より引用させていただきました。
ここで言う性格とは、私たちが一般的に口にする性格とは異なっていると思われます。
その性格の示す範囲がもっと広がっていて、パーソナリティ(人格)に近い意味で使われていると思います。
ここでも面白いのが、なぜ完全なものがわざわざ不完全なものになろうとするのか?です。
それは、タテマエ上は、進化や進歩のためであって、本音は(完全なるものに本音があるのかどうか疑問ですが)あまりにも完全だとなにも変化がなくてつまらないので、遊びのために、物理的現実世界を創った!……そんなロマンティックな考えが案外真理なのでは?などと考えてしまいます。 😉
性格のプリズムは観念、感情、そして知性(または思考)の3つでできているという。
となると、ここに入っていないのは、存在以外では「知恵」だけです。
この「知恵」というのも、ふつうに私たちが考える知恵とは違っていると思われます。
知恵とは、わたしが考えるに、ハイヤーセルフとか高次元の自分、あるいは無意識、潜在意識、そういうものに近いと思われます。
とかいって、P.20には知恵とは……
こう書いてありますけどね。
「すなわち自己に対する気づき、自分自身が大いなる全てであるという気づきです」
ふむ、なるほど、自分が大いなる全てであるという気づき……まさにそう気づいている状態はそういう知恵のある状態と言えますね。
この気づきは、「大いなる全ての一部」ではなくて「大いなる全て」そのものに対するものなんですね。
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