「怖れとは、意識のドアをノックしているメッセンジャーである」と考えることができます。「もしもし、見てみたほうがいい観念がありますよ。本来の自分自身と方向が一致するよう調整する必要がありますよ」と言っているのです。 :BASHAR(バシャール) 2006

「怖れとは、意識のドアをノックしているメッセンジャーである」と考えることができるのです。
「もしもし、見てみたほうがいい観念がありますよ。本来の自分自身と方向が一致するよう調整する必要がありますよ」と言っているのです。

以上、ダリル・アンカ (著), 大空 夢湧子 (翻訳) 『BASHAR(バシャール) 2006 バシャールが語る魂のブループリント』P.199より引用させていただきました。

怖れをも、ポジティブな目的に使えるというのはいいことですね。

というか、すべては中立ですから、怖れも中立なものをネガティブに見た見方のひとつですね。
ネガティブに捉えるとネガティブな結果を得るということですね。

そして、ポジティブに捉えるとポジティブな結果を得る。
だから、怖れは怖れるに足らないということですね。

2013.9.14追記

どういう観念が自分の中にあるから自分は怖れを抱いているのだろう?と自問自答し
その観念に気づけば観念は無力化される。
次に、本来の自分自身と一致するような新しい観念と置き換えてみる。
それでもまだ怖れがあるのなら、怖れを抱かせる他の観念を探し出して無力化する。
そして、新しい観念と置き換える。これを怖れがなくなるまで繰り返す。

……という感じになると思います。

TAH01039

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