波動とは、物理的現実を創っている均一の場に(または物理的現実を創るために創られた均一場と言ってもいいのですが)意識が影響を及ぼしたものです。
(中略)
波動は、位相をずらす(波長を合わせない)ことによって他と干渉し合わない能力も創り出します。それにより、基本的には同じ空間と時間枠に存在しながらもお互いを体験しないですむ、平行した現実も創り出せるわけです。
以上、ダリル アンカ (著), 関野 直行 (翻訳) 『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.52-53より引用させていただきました。
たとえば大きな湖があって、そこに波が立った場合。
波という現象はそこにあるけど、存在するのは湖を構成する水ですよね。
だから、波は単なるを状態を示す言葉であって、波自体は存在していません。
水という物質は存在するけど、波という物質は存在しません。
これを、水を意識、波を波動にたとえると、波動は単なる状態であり存在ではない気がします。しかし、本などを読むと、光は物質と波動のふたつの性質を持つようなことが書いてありました。
さらに、すべては波動である。若しくは波動でできている、のような表現も多く見ます。
だとすると、波動は存在するのか?となります。
大きな湖を大いなるすべてだと仮定すると、風がなく鏡のような真平の水面をした湖は、湖しか存在しない世界で、そこに風が吹いて、いろんな波を作ると、光が様々に反射して、途端に華やかな世界になります。
その波の描く様々な模様は物質世界とそこに暮らすわたしたちの誕生であり、だから波は存在するといえば存在するし単なる状態だから存在しないといえば存在しないのかもしれません。
あるいは、そのどっちの性質をも持っているのかもしれません。
存在するけど存在しない、存在しないけど存在する、そしてひとつがすべてで、すべてはひとつでもある。それが、この世界の真実なのかもしれません。
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