ただしい生活とは
社会の道徳にしたがうことではありません
ねたみや 貪欲さや 権力の渇望などから
自由になることです
(中略)
自分を知ることをとおして
それらに気づくことによって
自由になれるのです
以上、J.クリシュナムルティ (著), 中川吉春(翻訳)『瞑想』P.13-14より引用させていただきました。
本物の瞑想には厳しい規律が求められる。
その規律は、たえまない気づきをとおして生まれる。
自分の外側だけではなく内側で起こっていることにも、たえまなく気づいていること。
だから瞑想は人里はなれた場所で行われるものではなく、日常生活においてこそ行われるべきもの。
協調性と感受性と知性が必要とされる日常生活だからこそ、そこで瞑想を行う価値がある。
書いてあることをまとめると以上のようになります。
ネガティブな感情には悩まされますが、その解決策もやはり、自分を知ることの中にあるようです。
ネガティブな感情からも気づきによって自由になれる……。
自分の外側で起こっていることにも、そして内側で起こっていることにも、たえず気づいていたいものです。
ですから、このモットーを覚えておいてください。 「気づき=中立化、無力化されること」 つまり、気づけば、それは中立になって、無力化される、ということです。 by バシャール
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