自分を知れば、すべて知ったことになる。
それが「悟り」。
以上、阿部 敏郎 (著)『いまここ―すべてがうまく流れ出す宇宙の絶対ルール』P.34-35より引用させていただきました。
この本は簡単な言葉でやさしく書いてあるけど、内容は深いです。
私の今のレベルは、知識としてはわかるけど、すべてを有機的には理解していないと言える。
同書P.32には、悟りとは誰もが心の底の底で知っていることを「自分は知っていた」と思い出すこと、とある。
すでに知っていることを知っていたと思い出すことが悟り?
……と以上の知識を知ることがイコール「思い出す」ことでもないし、思い出すとは具体的にどういうことだろう?
自分がどういう状態なら思い出したといえるのだろう?
すべてが自分と同じものでできていて、その自分が決して死なず、永遠に祝福された歓喜の存在であり、しかも人生は幻想であり、時間も存在しない、唯一存在するのは「いまここ」。
いつも100%守られ、100%愛され、人生の流れに身を任せるのが一番。
そうなると、無駄な努力がなくなり、人生が楽になり……
……とのことだが、私はこれらのことは知識としてはもう何度も聞かされている。言葉を変えて。
さらにこの本の著者は、すべてが自分と同じもので出来ている感覚は、いつもあなたは自分の内側で感じていて、感じていないときがないほどで、逆にそのことが、感じている実感をなくしていると言う。当たり前過ぎて気がつかないのだと言う。
では私はそれを知っているのか?分かっているのか?
ただ単に私が知っていると言えば知っていることになるのか?
分かっていると自分で決めれば分かったことになるのか?
そんな気もするが、ほんとのところは、どうなんだろう?
私はすでに悟っているのに、それに気がついていないのだ。
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