怖れは、怖れるに足らないことである。怖れとは、本来の自分自身と方向がずれている観念にふれるためのメカニズムである。怖れとは、意識のドアをノックしているメッセンジャーであると認識する : バシャールの学校

怖れは、怖れるに足らないことである。怖れとは、本来の自分自身と方向がずれている観念にふれるためのメカニズムである。怖れとは、意識のドアをノックしているメッセンジャーであると認識する : バシャールの学校

「怖れは、怖れるに足らないことである」
(中略)
「怖れとは、実は本来の自分自身と方向がずれている観念にふれるためのメカニズムである」
(中略)
「怖れとは、意識のドアをノックしているメッセンジャーである」

以上、ダリル・アンカ (著), 大空 夢湧子 (翻訳) 『BASHAR2006(バシャール2006)―バシャールが語る魂のブループリント』P.198-199より引用させていただきました。

以下書いてあることをまとめてみます。

私たちはエネルギーでできている。
エネルギーにはそれぞれ固有の波動がある。
固有の波動、周波数が私たちがどんな存在であるかを表している。

感情は、パーソナリティの中の観念や定義をフィルターとして、その固有の波動をろ過した結果出てくるもの。

固有の波動(魂の青写真)と方向が一致している観念をフィルターとしたとき、ろ過されたものをワクワクとして経験する。
同じエネルギーでも、今度は方向がずれている観念をフィルターとしたときは、「怖れ」などとして経験するときがある。

光と闇が同じエネルギーでできているように、喜びと怖れも同じエネルギーでできている。
「観念」というフィルターを通ることによって経験するときの感情に違いが出てくる。

MIL20075//1

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