あなたが自分自身について知るとき
つまり あなた自身を見つめ
どのように歩き どのように食べ
なにを話しているかを見まもり
おしゃべりや 憎しみや 嫉妬を見つめ
あなた自身のなかで
これらすべてのことに
思考をさしはさむことなく気づいているとき
それはすでに 瞑想になっています
以上、J.クリシュナムルティ (著), 中川吉春(翻訳)『瞑想』P.8より引用させていただきました。
ポイントはやはり考えないことなんですね。
思考は目の敵ですね。(^-^;
まあふだんは嫌になるくらい考えているので、時に、無になるのも良いのかも知れません。
それに、こういう瞑想だったら、できそうな気がします。
要はあるがまますべてを肯定するってことですね。
無条件の愛の状態になればいいようです。
純粋な意識だけの状態になればいいようです。
あるいはひたすら自分を観察すればいいようです。
すべてを中立に見るのもいいのでは?
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