起きている現実を自分のものとして見るということは、(中略)
「自分こそが、この現実を創り出している創造主で、それゆえに自分が望む方向に変えることができる」ということを認めるだけのことです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック6―ワクワクを生きると自然に「いま」を生きられる (VOICE新書)』P.115より引用させていただきました。
さて、いくら自分が創造主だとしても、銀河を創ったり、山を創ったりはできないわけで、いえいえそもそも、すぐ近くの他人だって変えることはできません。創造主なのに。
私達ができるのは、中立な物事に、自由に自分で意味をつけることです。
そして、意味づけによって、現実は如何様にも眺めることが可能となる。
それが創造主としての私達の仕事だ。
……と、なるはずですが、どうでしょう?
そしてこの能力を持っていることが、聖書にある、神が私達を創造主に似せて創った、という意味なんでしょうね。
あくまでも「似せて」なので、私達は創造主そのものではない。
2013.5.11追記
まずは、起きている現実は自分のものであると認めること
それが、現実を望むものへと変える第一歩ですね。
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