自分が中心にいるときには、光が輝きだしていて、そして情熱的でむらがないのです。平坦なのです。そうすると、感情の上がり下がりがないのです。でもそういう状態は非常に強い状態です。光のように感じられます。by バシャール

本当はひとつの感情しかありません。それは愛です。その他の感情は「愛」の変化したものです。それ以外の肉体から出てくる表現ですね、その表現は個人個人の観念から出てきます。自分が本来の中心にあるとき、そういう感情というものの必要性が低下します。たくさんの人はそれを冷たいとか、あの人は感情のない人だとか見ます。でも自分が中心にいるときには、もう光が輝きだしていて、そして情熱的でむらがないのです。平坦なのです。そうすると、感情の上がり下がりがないのです。でもそういう状態は非常に強い状態です。光のように感じられます。

以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック2―人生の目的は「ワクワク」することにある (VOICE新書)』P.217より引用させていただきました。

自分が本来の中心にあるとき必要性の低下するそういう感情とは、愛以外の肉体から出てくる表現ということでしょうね。

自分が中心にいるときは、光が輝き出し、そして情熱的でいてむらがない、平坦である。(別の言葉で言えばワクワクと言うことだと思います)
しかしながらそういう状態は強い状態である。光のような状態である。

……ということで、私達は愛と光でできている、文字通りに、とそういうことになるんだと思います。

確かに常に愛の感情を抱いていれば、感情に起伏はなく平坦だと考えられます。
逆に愛から派生した肉体から出てくる感情は、それこそバラエティに富んでいるでしょう。
それは愛以外の観念から生まれてくるものです。

観念を愛に基づくものに保つことによって、すべての中に愛を見、すべてを肯定的に見、平坦で継続的な愛の感情を抱くことができる。そのフィーリングにあることこそ光になることである。

とそうなるのだと思います。

2014.7.14追記

ハイになるのも逆に落ち込むのもエゴがあるからですね。エゴがなければ決してハイになることも落ち込むこともないでしょう。他人のことでハイになったり落ち込んだりはしないでしょう。それが自分のことだと思うからハイになったり落ち込んだりする。

一方、平坦な状態とはエゴのない状態、すなわち無条件の愛の状態、ということなんでしょうね。

MIL41040

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