観念とは単にひとつの選択にすぎず、どの観念を選ぼうが選ぶまいが、それは自分の選択の問題であり、まったく自由に観念を選ぶことができる。 : バシャールの学校 – BASHAR2006(バシャール2006)より

観念とは単にひとつの選択にすぎず、どの観念を選ぼうが選ぶまいが、それは自分の選択の問題であり、まったく自由に観念を選ぶことができる。 : バシャールの学校 – BASHAR2006(バシャール2006)より

みなさんが人生で学んでいることは次のことです。
「観念とは単にひとつの選択にすぎない」
「ある観念が必ずなければいけないという必然性はない」
「どの観念を選ぼうが選ぶまいが、それは自分の選択の問題。つまり、まったく自由に観念を選ぶことができるのだ」

以上、ダリル・アンカ (著), 大空 夢湧子 (翻訳) 『BASHAR2006(バシャール2006)―バシャールが語る魂のブループリント』P.186-187より引用させていただきました。

どんなにもっともらしく見えたとしても、それらの定義・観念は真実ではなく、単なる仮定に過ぎないとのこと。

ということはこれは、今現在ほぼ全人類が加齢とともに老いていくと考えていますが、この観念を変えて、「人間は歳をとればとるほど若くなる」と言う観念を全人類が選択すれば、本当にそうなるということですね。

老人として生まれ赤ちゃんとして死んで行く、それが当り前の世界が無限に存在するパラレルワールドのどこかには存在していると考えられます。

「成功するのは難しい」という観念を「成功するのは簡単だ」に変えるのと
「人間は歳をとれば老いていく」という観念を「人間は歳をとればとるほど若くなる」に変えるのとでは
後者の方が難しいように感じますが、この感じ方自体がすでに、観念なんでしょうね。

どっちも観念を変えるのは簡単だと言う観念を持てば、どちらも観念を変えるのは簡単なんでしょうね。

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