フォーカスしたものがいのちを吹き込まれるので、たんなる情報にすぎない機械的な概念が動き出す : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』をバシャール的に読む

フォーカスしたものがいのちを吹き込まれるので、たんなる情報にすぎない機械的な概念が動き出す : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』をバシャール的に読む

あなたがフォーカスしたものがいのちを吹き込まれるので、たんなる情報にすぎない機械的な概念が動き出します。

「行き詰まる」という概念がいのちを持つのです。
そのまま「行き詰まる」ことが現実化されます。
あなたがフォーカスした”情報”が開くのです。
その中味が開示されます。

以上、Mana (著) 『空(くう)―天翔(あまか)ける歓喜の弥栄(いやさか)』P.53-54より引用させていただきました。

そしてそのための体験スペースである時空間が開く。
でも、ただその特定の情報を実感体験するだけで、それ以上の意味はない。

その感覚を、ただ体験したかったから体験しただけ。

しかも起ったときにはもう済んだときであり、
今この瞬間は、ゼロであり「空」であり、何も起こっていない。

だからこそ、あらゆるすべての可能性が”今この瞬間”にある。

“今”の自分がフォーカスするものが見え始め、観察され始める。

……と、以上書いてあることを簡単にまとめてみました。

ではなぜ、「人は歳をとれば若くなる」という概念はいのちをもたないのだろう?
なぜ現実化しないのだろう?その情報が開いて中味が開示されないのだろう?

その違いはどこに、何にあるのだろう?

MIL30017

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