(恐怖の)臨界点を超えるために、戦うか逃げるという方法でたくさんの時間・年月を費やすのか、ただ向き合って受け入れる方法で一瞬にして終えるのか、あなたの選択しだいです。 : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』
(恐怖の)臨界点を超えるために、戦うか逃げるという方法でたくさんの時間・年月を費やすのか、ただ向き合って受け入れる方法で一瞬にして終えるのか、あなたの選択しだいです。
以上、Mana (著) 『空(くう)―天翔(あまか)ける歓喜の弥栄(いやさか)』P.209より引用させていただきました。
これは、かなり自分にとって大事な部分だと思うので、引用した部分までに書いてあることを以下にまとめてみます。
喜びを追及していくことに罪悪感を感じる人がいるかもしれない。
それは、その人の中に、被害者・加害者という情報のプログラミングがあるから。
いつの時代かいつの次元かで、自分を何かの加害者だと意識してしまうと、罪悪感を持たなくて済むように”被害者”の立場を取りたくなる。被害者のほうが楽だから。
いつしかそれは、すべてへの被害者意識になってしまう。
自分の中に被害者・加害者という情報のプログラミングが残っていると、感情反応してしまうので、過去の情報に反応しているだけなんだと、気づくことが大切。
ただそういう反応を知りたかっただけ、中立に愛を持ってその感情反応を受け入れれば、それは解放され消えていく。
抑圧や、避けたり、気持ちをごまかしたりしないで、ただ何もせずあるがままに任せる。
受容し、統合し、無条件に愛する。
恐怖は直面すれば、数秒で消えていく運命にある。
逃げ続ければ、いつまでたっても終わらない。
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