淡々と栄えていくこと、粛々(しゅくしゅく)と繁栄していくことが自然の摂理。それが普通で当り前。 : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』をバシャール的に読む

淡々と栄えていくこと、粛々(しゅくしゅく)と繁栄していくことが自然の摂理。それが普通で当り前。 : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』をバシャール的に読む

淡々と栄えていくこと、粛々(しゅくしゅく)と繁栄していくことが自然の摂理。
それが普通で当り前。
私たち「空」意識は、この栄えて繁栄していくことを、ぜひともこの物理次元において人間ボディを通じて実感体験してみたかったから、今、ここに肉体を持っているのです!

以上、Mana (著) 『空(くう)―天翔(あまか)ける歓喜の弥栄(いやさか)』P.203より引用させていただきました。

これは自然にある植物や動物が自然の中で誕生し、淡々と成長して行き、美しい花を咲かせたり、成長した美しい肉体となってしなやかに活動していく、それを当り前のようにこなしている、そう捉えていいのでしょうか?

自然はあるがままで、自然と栄え、繁栄していく。

自然にあるものは時とともに老いて、そして朽ちていくが、それもバシャール的には中立な状況であり、老いでさえも、見方を変えれば繁栄であり、栄えていくことなのでしょう。

あるいは、”老い”自体存在しないのかもしれない、永遠なる成熟、永遠なる熟成がそこにあるだけなのかもしれない。

老いは、観念によるネガティブな意味づけのひとつに過ぎないのかもしれない。

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