フィーリングと感情の違いを考察する : 『なつかしいハーモニーの惑星へ』をバシャール的に読む

映画館で映画を見るのと同じです。
映画を見ながら、感じるものがあるでしょう。
それと同じように、映像にしたって、感じるものが自分の中にあるのがわかる。
で、それがただのバイブレーション。ただの地球のバイブレーション。わかります?

以上、関野 あやこ (著), 笠井 裕子 (編集), 佐藤 カスミ (編集), 大湯 由里子 (編集) 『なつかしいハーモニーの惑星へ』P.217より引用させていただきました。

現実は360度立体パノラマスクリーンに映っているただの映像。
でもその映像を見て感じる何かは自分の中にある。

その感じている何か、バイブレーションとかフィーリングとか名付けたものに対して観念から意味を付けると様々な感情が生まれてくる。

そうではなくて、ただの地球のバイブレーションとして中立にそして決して頭で意味付けすることなくただ観察する。

そっか!

自分の中で感じているただの地球のバイブレーションに頭で意味を付けるからそこに様々な感情が生まれてくる。
自分の中で感じているただの地球のバイブレーションをそのままあるがままに感じるだけなら、そこから感情は生まれてこない。そのバイブレーションはただ自分の中を流れて何処かへ行くだけ。(この何処かは何処?地球?宇宙?それとも消滅する?)

フィーリングとは地球から五感で肉体に感じるさまざまな感覚。その感覚にはもともと決まった意味はない。
意味を持たぬフィーリングに頭を使ってなんらかの意味づけを行なうと、そこに感情が生まれる。

感情もフィーリングの一種だが、自分の頭で創り出した(あるいは変質させた?)自分の中だけのオリジナルのフィーリングだ。だから感情を解放するには、フィーリングにリンクされた意味づけを解放する必要がある。

地球という現実世界から肉体を使って認識する感覚がフィーリング。
そのフィーリングに頭で意味をつけてからもう一度肉体の感覚で認識するのが感情。(地球のバイブレーションであるフィーリングを頭で肉体へと再フィードバックしたのが感情?

そういうことかな。
現在の私の思考結果ではそういう結論になります

MIL03026

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