概念の中と概念の外 : 『なつかしいハーモニーの惑星へ』をバシャール的に読む

ここ(概念の中)にいると、こうしたいなって思うことが、
そうはいかないだろう、それは無理だろう、いろんなバイブレーションが出てくるでしょ。
ここ(概念の外)に出ると、そういうバイブレーションも、手放して統合していってますので、
視界がパーンとひらけて、遠くまで見渡せて、自分がそうしたいということがなっていくのが、
ものすごいナチュラルなことに感じるんです。

以上、関野 あやこ (著), 笠井 裕子 (編集), 佐藤 カスミ (編集), 大湯 由里子 (編集) 『なつかしいハーモニーの惑星へ』P.67より引用させていただきました。

これ、わかりますねえ。
望む現実があって、それをかなえたいって思うとき、ふつうはそれを打ち消すような方向に働くいろんな思考や感情が出てきます。

お金持ちになりたいと思う。
でも、お金持ちになるのは悪いこと、難しいこと、辛いこと、コネが要る、嫌われる、妬まれる、努力が必要、時間がかかる、我慢が必要、勉強が必要、知識が必要、テクニックが必要、少しは悪いこともしないとだめ、等などいくらでも打ち消す方向に働く観念が出てきます。

まさに、概念の海でおぼれています。

そして、概念の外に出てしまうとは……

バシャールで言うと、すべてを中立に見ることだろうし、Manaさんの「空」でいけば、徹底的に自覚した観察者になることだろう。あやこさんで言えば高い意識へと分離したバイブレーションを統合していくことになるでしょう。

それはエゴをなくすことであり、無条件の愛そのものになることであり、万物を生み出した根本的光になることであり、悟りであり、無の境地であり、究極のエクスタシーであり、悦びであり、自覚する観察意識「空」であり、宇宙意識であり、ひとつなることであり、すべてになること……だろうと思う。

そういう境地には、もはやエゴに基づいた欲は存在しえず、あるのは愛に基づいた望みだけだろう。

エゴに基づいた欲からは絶対に概念の外にはいけないはずだ。
なぜならエゴに基づいた欲は、概念の中にしか存在しないからだ。
エゴはエゴそのものが自らを概念の中に閉じ込めてしまうからだ。
概念のないところにエゴは存在できないだろう。

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