あなたは愛と喜びをもって観察する意識の側なのです。それをたった今から片時も忘れずにいてください。なにか興味が湧くことを「決意」し「その結果の観察を喜ぶ」のが、あなたであるのです。ぜひとも、あなたはあなたの肉体すべてで喜ぶことを決意してください。
以上、Mana (著) 『空(くう) 舞い降りた神秘の暗号』P.66より引用させていただきました。
観察する意識の側で生きてきたことなんていまだかつてなかったなと思います。
愛と喜びを持って生きたいとは思ったことはあります。
でも、愛と喜びの生み出す結果を観察して喜ぶ生き方を目指したことはありません。
この「空」という生き方はとても新鮮に感じます。
それに、観察という言葉も私は好きです。(^_^)
テレビゲームは楽しむためにやるのに、いつしか、腹が立つからやめられないとか、嫌々ながらもゲームをクリアすること自体が目的になる場合がありました。そういう時のテレビゲームは楽しくありませんでした。
画面を見ていてもまったく楽しくなかったのです。
逆にイライラしていました。
ほんとは画面を見て、言葉を変えれば、画面を観察してそこから得られる感情を楽しむのがテレビゲームなのに、いつしかテレビゲームにふりまわされるようになる。ゲームをクリアすることが目的となる。ゲームを如何に効率的に早くクリアするかが目的となってしまう。
テレビゲームって自分が楽しむためにやるはずなのに……。
自分が創造したものを、ただ観察して楽しむというのは、それは神のすることですね。
神ならきっとそうするだろうとずっと思っていました。
そうなんです。神は何もしないで、ただ眺めているだけです。
そして自分が創ったあるがままのすべてをただ感じているだけです。
それが愛です。それが無条件の愛です。
そういう意味では、私達は神だったのですね。
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