こんな感じでいえると思います。穴が開いていて、トンネルのようなものが自分の人生の始まりから終わりだとします。このトンネルの入り口から、出口まで、生まれてから死ぬまでを歩いていくのは、みなさんの運命です。
みなさんはそこを歩いていきます。
でもそれを、いかに向こう側までやっていくかというのは、みなさんの現在、肉体の意志を持って決めることができます。走っても、歩いても、這っても行けます。前にも後ろにも行けます。友達を連れてみんなで行くこともできれば、ひとりで行くこともできます。
悲しんでも、ハッピーでも行くことができます。泳いだり、飛んだり、逆立ちしても行けます。まっすぐ向こう側に行くこともできれば、途中、途中にある扉を全部開けて行くこともできます。
どういうやり方であれみなさんは、ちゃんと向こうまで行きます。
ひとつだけ例外があります。みなさんの言葉でいえば、「意識的な自殺」です。
「意識的な自殺」というものは、そのトンネルの向こうに目が眩んでいくものですが、オリジナルの、一番最初の理由には反するものなんです。
ですから、一番始めに決めたものと、逆行することになります。
自殺をしたときには、自殺の過程でも否定的な想念が残りますが、だいたいすぐまた、一番最初に始めたのと、同じ所に戻って、同じような人生を生きることになります。
無論、すべての「死」というものは自分自身で選んでいますから、そういう意味では同じです。ただひとつ、普通に死ぬというのは、そのトンネルを向こう側に歩いていっていることになりますが、自殺というのは、そこから逃げて行くことになります。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック1―ワクワクが人生の道標となる (VOICE新書)』P.165-166より引用させていただきました。
引用がとても長くなってしまいましたが、とても大事な問題だと思いますので、正確を期するために多めに引用しました。
「大いなる自己」は、それまでの前世を全部考慮に入れて、一般的なテーマを選びます。
現在までのいろいろな前世のバランスを取るためにテーマを選びます。
しかし、そのテーマをどのようにやっていくかは、肉体を持った自分の自由意志が決めていきます。
これをトンネルでたとえるとこの引用した文章のようになります。
そして、自殺の場合は、それまでの前世のバランスを取ろうと選んだせっかくのテーマを成し遂げることなくショートカットしてしまうために、次に生まれてくる時には、また同じようなスタートラインで生まれてくるようです。
コメント
自分で決めたのに大事なテーマを忘れさせ、頑張った末にどうしょうもなく自殺したら最初からやり直し。もちろんまたそれも忘れて。全く救いがない世界ですね。