「すべての人は、その人自身を含めて誰も傷つけずに、その人の望むどんな現実も創り出していくのに必要なパワーをすでに持っている」ということです。これらを、まったく疑いもなく知っている状態が「統一性」です。
それがパワーです。悟りです。マスターするということです。そして遊びです。
以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック6 ワクワクを生きると自然に「いま」を生きられる 』50ページより引用させていただきました。
統一性とは、「複数の物事が一つにまとまっていて、全体として調和が取れていること、または乱れがない状態」とネットにあるので、本来の魂としての私たちは愛に溢れ全知全能ですべてがひとつの存在なので、分離独立した状態でも方向性はひとつの統合された存在へと向かっていくのが統一性ということなんでしょうね。
すべてが一つで全知全能という本来の魂状態の自分へと向かうという方向性を思い出すことが悟りなのでしょう。
私たちは本来全知全能の存在なのだから当然自分の望むどんな現実をも創り出すのに必要なパワーをすでに持っています。そして一人につき一つの宇宙を持っているのですから他人の宇宙に迷惑をかけずに生きていくことも可能なはずです。
そもそも他人も自分であると知っていれば他人に迷惑をかけようとも思わない。
この分離した世界で元々のすべてはひとつである世界を実現しようと思ったら、調和という状態にならざるを得ないのでしょうね。
私たちは元々は愛に溢れた全知全能のすべてがひとつである存在。
それが地球に肉体を持って生まれた時には分離して様々な個性を持つことになる。
肉体を持った自分にはいろいろな制限がかかり、望む現実なんて創り出せないと思い込んでしまうが、本来は何でもできる存在でそういうパワーが自分には備わっていると思い出せばまた違う生き方もできるでしょうし、本来のすべてがひとつの状態をこの地球で実現するには他の存在と調和することだと分かるのでしょう。
どんな現実をも創造する力を潜在的に持っていることと実際にこの世界でそれを創造することとはまた別の話ということなんだと思います。
全知全能で何でも知っていて何でも出来る存在であっても物理的な地球に肉体と個性を持って存在した時点で当然ある程度の制限はかかってしまう。全知全能ではなくなってしまうが本当は自分は全知全能であるという確信があればもし出来ないことがあっても気にならないということでしょう。むしろ全知全能でない自分を楽しむことができるということでしょう。

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