「現実」は、それ自体が意識や意志をもっているわけではありません。あなたがそれに選択を与えなければ、現実が勝手に変わっていくことはないのです。人生は、必ず、あなたを通して出てきます。 by バシャール

「現実」は、それ自体が意識や意志をもっているわけではありません。
あなたがそれに選択を与えなければ、現実が勝手に変わっていくことはないのです。

人生は「降りかかってくる」ものではないのです。
人生は、必ず、あなたを通して出てきます。

以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック4―ワクワクこそが、ひとを深くいやす力がある 』91ページより引用させていただきました。

いわゆる物理的現実には二種類あるんだと思います。
人それぞれが創っているその人独自の「現実」と、本人は関与していないありのままで中立の現実です。

そしてその人独自の「現実」は、その人の意識や意志が創り上げた「現実」ですから、当然その「現実」自体は意識や意志はもっていません。夜見る夢が、独自の個性を持ち意識や意志をもつことはないのと同じです。

自然であるがままの中立の現実は、それぞれが意識や意志あるいは方向性をもって変化していくが、その変化自体に意味はなく中立である。だけどその中立な現実に何らかの意味を与えた途端に自分が創っている「現実」に変化が現れる。

中立で自然なあるがままの現実と人間が意味を与えることによって創り出す個人個人の「現実」、この二種類が存在すると考えられます。
そして人生という「現実」は後者ということだと思います。

おそらく自分以外の他人が起こした自分の外側におけるなんらかの変化も、自分にとっては中立な現実ということになるのでしょう。

極端に言えば、他人の発言を含む一切の行為は中立な自然現象の一種であると。
他人が何を話そうが何をしようが自分にとっては自然現象であり中立であり何の意味も持たない。

もし他人があなたの方角を見てNGワードを発し中指を立てたとしても、そこに様々な意味を与えなければ、自分にとっては単なる自然現象に過ぎない。生物がこちら側を見て何か声を上げ同時に前足と思われる片方の足を別の足より高い位置に保持しているだけ、ただそれだけの中立な現実です。もしさらにその生物が襲いかかってきたらなんらかの対処は必要かもしれませんが。

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