ここにパラドックスがあります。
自分でできる限りの個性を持った人間になったとき、無論他の人を犠牲にしてということではありませんが、自分の個性を百パーセント発揮したときに、全体とひとつになることができるのです。
自分の持つ才能を百パーセント発揮するとき、創造のすべての部分がそこで満たされます。
それによって、創造の他の部分に触れることができるのです。
以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック4―ワクワクこそが、ひとを深くいやす力がある 』22ページより引用させていただきました。
本来の自然な自分とは、他人と自分という区別のない、全体とひとつになった自分。
全体とひとつとなるためには、逆説的ではあるが、自分の持つ才能を百パーセント発揮して、できる限りの個性を持った人間になったとき、すなわち肯定的なほうの自分を信頼して、明るく前向きにワクワクとした状態で生きているとき。
そのようなとき、全体とひとつとなっている。
自分の生きているこの現実が実は夢であり、意識の見る夢であるからこそ、すべてはひとつでありさらに自分の見たい夢を見ることができる。すなわち自分の生きたい現実を生きることができる。
書いてあることを自分なりにまとめると以上のようになります。
以下は私の考えです。
おそらく、全員に共通のリアルな唯一の物理的な現実は存在するんだと思います。
しかしそのリアルな物理的な現実で私たちが生きるときには、常に個々人の先入観念が入り込んでいる。常に私達の思い込みが入り込んでいる。
あるいはそれらは各種洗脳が入り込んでいると言っても良いかもしれない。
それらの洗脳は宗教であったり教育であったりマスメディアであったりするだろう。
それらの洗脳や親から受け継いだ先入観などをフィルターとして唯一絶対のリアルな物理的現実を個々人が体験したとしても、それは各々が夢を見ている状態とほとんど変わらない状態と言える。
生きていく上で各種洗脳や様々な先入観念から私たちが逃れられない以上、唯一絶対のリアルな物理的現実を正しく認識することはほぼ不可能であり、結果的には個々人の洗脳された価値観や様々な先入観念を通して見た歪な唯一絶対のリアルな物理的現実しか存在し得ない。
私たちが唯一絶対の正しいリアルな現実を見ていない状態は、洗脳された価値観や各種の先入観念によって自分で自分の現実を創造している状態であり、それは夢を見ている状態であるともいえる。
そして夢というのは分離しているように見えても実際にはひとつであるのは経験上分かる。
洗脳や先入観念によってフィルターのかかった現実は、自分で創造している現実であり、それ故に自分で自分の現実を変えることが可能になっている。実は自分で自分の見たい夢を見ることができるのだ。
先入観念による思い込みや、各種洗脳による価値観を通して見た現実は、本当の現実ではなく自分で創り出した現実すなわち夢であるので、自分の思い込みや価値観を変えると当然違う夢すなわち違う現実を体験することとなる。
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