肯定的な観念は、喜びに満ちた感情をもたらし、喜びに満ちた感情は喜びに満ちた思考パターンをもたらし、喜びに満ちた思考パターンは喜びに満ちた行動をもたらし、肯定的な結果を実現する。
自分には自由に望むものを実現する力があるんだと信じることができたなら、感情が否定的であるはずがない、感情は喜びに満ちているはずだ。
人が喜びという感情に満たされているとき、どのような考え方をするだろうか?
そしてその考え方は行動に結びつき物理的現実において望むものを実現化していく。
確かに思考は実現化していく。
だが否定的な思考ばかりが実現していくならそれは望ましいことではない。
ではどうするか?
まずは肯定的なことを信じること。
肯定的なことを信じているからこそ感情が肯定的になり、肯定的な感情からは肯定的な思考が生まれ、そして思考は実現していく。
望む現実の実現のためには、順番的には、信じるという行為が一番先に来るのかもしれない。
考え方というのがその人そのものだが、考え方というのは何を信じているかによる。
どう考えるかがその人をつくり、何を信じるかがその人の人生をつくるのかもしれない。
何を信じるか → 観念
どう考えるか → 思考パターン
そして、観念と思考パターンの間には感情があり
思考パターンの次には行動がある
何を信じるかが感情を決め
感情がどう考えるかを決め
考え方がその後の行動を決める
現実を創造するにおいて考え方が一番先に来るとずっと思っていたが、どうやら間違っていたようだ、一番先に来るのは何を信じるか、なのでは?
つまり、観念。
コメント