自分自身が「ユニークだ」と思っている部分、他の人とは違う人生を歩んでいる部分、は自分が創りあげているものです。みなさんの肉体的な現実は、自分の思考が拡張されて生まれてきたものです。 by バシャール

自分自身の現実を創り出しているのはみなさん自身です。みなさんが物理的に体験しているもの、それらを創り出しているものは、みなさん自身です。

みなさんが体験していると思っていることは、自分自身で創りあげていることなのです。
自分自身が「ユニークだ」と思っている部分、他の人とは違う人生を歩んでいる部分、は自分が創りあげているものです。
みなさんの肉体的な現実は、自分の思考が拡張されて生まれてきたものです。
考えたものが結晶化して「現実」となります。
この現実世界、肉体的なレベルは、みなさんが創りあげています。
あなたがそれ自身なのです。

以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック4―ワクワクこそが、ひとを深くいやす力がある 』47ページより引用させていただきました。

だからこそ、もう絶望だと思えば本当に絶望的な状態になるし、成功するのは簡単だと思えば本当に簡単になるし、出来ないと思えば出来ないし出来ると思えば本当に出来る、自分で創りあげているのだからネガティブなほうにもポジティブなほうにもどちらにも現実を展開させることができる。

この物理的現実は二種類あるのかもしれません。
全員に共通な基本的な物理的現実と、それぞれが創造している物理的な現実とのふたつです。
共通部分あるいはシェアしている部分は変わらないあるいは変えることができない固定されたもの。
その基礎的な共通部分をどう見るかどう対処していくかは各自の自由意思に任されている。
その共通部分以外のユニークな部分、他の人とは違う部分は、自分で創造することができる。
その自分で創りだした部分がそれぞれの物理的現実となる。
死んでしまったらなくなるものすべては自分で創りだしている。
自分で創りだしているからこそ、自分が死ねばそれらはなくなってしまう。
自分が死んで無くなってしまうすべては自分自身だと言える。
目が覚めたら無くなってしまう夢の世界が夢の中では自分自身のすべてだったように。
しかし相変わらず物理的世界のコアの部分基礎的な部分共通の部分シェアしている部分は残っているし存在し続ける。

世の中には変えられない部分と変えられる部分がある。
変えられない部分はみんなでシェアしている部分で、変えられる部分はそれに対する自分の考え方。
それをどう見るかどう考えるかどう意味づけるかに対して私達は自由意志を与えられている。
その自由意志をポジティブなほうに使えばシェアしている部分をポジティブな角度から見ることができポジティブな気分になるし、その自由意志をネガティブなほうに使えばシェアしている部分をネガティブな角度から見ることになりネガティブな気分になる。
本来そのどちらの選択も自由にそして平等に行うことができる。
本来物事にはいろんな側面があっていろんな見方いろんな考え方が可能だ。
これしかない!というのは本来存在しない。
それに対する考え方がその人の現実と言える。
それに対する見方が文字通りその人が見る現実となる。
コップに半分の水がみんなでシェアしている固定された部分。
ポジティブな見方をすればまだ半分もある!だし
ネガティブな見方をすればもう半分しかない!になる。

とは言え、どちらも平等に選択できるはずなのに私の様に
半分しかない!どうしようと考えてしまう傾向の人間はいる。
それをどうやって半分もある!と考える傾向の人間にするかは課題ではある。
私の場合は半分しかない!と考えるのが当然だと思っている傾向がある。
これはなんらかの洗脳の結果なのかもしれない。

たとえばテレビコマーシャルは常にあなたにはこれが足りないをささやく。
半分もある!では物が売れない。半分しかない!とみんなが思うから物が売れる。
あなたは満たされている!では物が売れない。
あなたは満たされていないからこれを買いなさいがテレビコマーシャルの洗脳だし。
これを買えばあなたは満たされる!がテレビコマーシャルの役目だろう。
半分のコップの水では全然足りないからあなたは不幸なんだよ。
半分のコップの水を全部満たせばあなたは幸せになれるよ、というのがテレビコマーシャルの本質なんだろうと思う。

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