今日は「世界を癒す」というテーマです。
もちろん、いわゆる世界を癒す前に、自分自身を癒す必要があります。
みなさんの中でいかに小さな変化が起きても、それは必ずみなさんの惑星全体の意識へ何らかの影響を及ぼします。
ですから、実際には自分を癒すことと世界を癒すことは同じことなのです。
以上、バシャール(チャネル:ダリル・アンカ) (著), 関野直行 (翻訳)『BASHAR GOLD(バシャール ゴールド)』P.94より引用させていただきました。
ということはきっと、毎瞬毎瞬のわたしたちのいろんな内的な変化がプラスされたりマイナスされたり、その総和が地球全体の意識へと影響を及ぼしているんでしょうね。
そして当たり前と言えば当り前なんですが、世界を癒す前に、まず自分を癒すのが先、ということですね。
でも、世界を癒そうと思うことで、自分も癒されるということもあるんでしょうね。
そういう場合には、世界と自分を同時に癒していると言えるのかもしれません。
コメント
バシャ-ルは、宇宙は自分の状態をそのまま反映するといっています。つまり、「成功したい」であれば成功したいという状態を経験する、だから自分は「成功している」と考えるべきだといいます。
それを踏まえてなのですが、新約聖書には
求めよ、さらば与えられん。
たずねよ、さらば見出されん。
門を叩け、さらば開かれん。
すべて求むるものは得たずねぬる者は見出し、
門をたたく者は開かるるなり
「マタイ伝二十六章六十四節」
とあります。これはバシャ-ルのいう理屈と合わないとは思いませんか?
こんばんは
理屈に合わないととれば、そうも見えるでしょうね。
新約聖書では自分の外側を変えるよう働きかけなさいと言ってるし、バシャールは自分の内側を変えろ、と言ってるってことですよね?
私の場合は、自分の内側を変えることを決心するにも、その扉(内側を変える決断)を開かなくては、それが始まらないと思うので、新約聖書とバシャールが矛盾しているようには考えていません。
いずれにしてもバシャールは、すべては、これかあれではなく、これとあれ、両方とも正しいと言っているので、新約聖書のその部分とバシャールの言っていることが理屈に合わないように見えても、特に問題はないと思われます。
それに、そもそも、バシャールの言っていることは、理屈を超越していますから。(^-^;
一通り読み直してみたのですが、これは「行動」のことを言っているのでしょうかね?
特に、「たずねよ」と「門を叩け」の部分は行動に関することと受け取れます。
豊かさを求めるのはいいことだけれども、欠乏から求めてはいけないということも注意したいと思います。
こんばんは
わたしも読み返してみたましたが、この新約聖書の部分が「成功を求めなさいそうすれば成功を与えられるでしょう。」という意味なら、バシャールのいう理屈とは合わないですね。
バシャールは結果を創れば原因は宇宙が用意してくれるとも言っていますから。