自分が「大いなるすべて」だということを忘れることによって、それを再発見したときにびっくりすることができます。
自分自身に対する新しい観点を発見することができます。
「大いなるすべて」にはそのような発見のしかたしかできないのです。
以上、ダリル アンカ (著), 北村 麻紀 (翻訳) 『バシャールペーパーバック〈7〉ワクワクとは、あなたの魂に打たれた刻印である (VOICE新書)』P.225より引用させていただきました。
そのような発見のしかたしかできないのは、大いなるすべてが全知全能ではないことを示しますが、そこまでしても自分自身を知ることができるというのは、やはり大いなるすべては全知全能である証、とも言えます。
……と、この文章自体もパラドックスを形成してしまいます。(^-^;
真の全知全能は、全知全能であるとともに全知全能でなくもありえる、ということですね。
私たちは自分自身が大いなるすべてであることを忘れているがゆえに、自分自身に対する新しい観点をそれぞれに発見できる。
それはまさに世界に一つだけの花を咲かせることと言えるのでしょう。
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