あるていどまでの水準の人生において、エゴは一種の”救命具”のような保護者的な役目をしている。:『もどってきたアミ―小さな宇宙人』をバシャール的に読む #救命具 #保護者

あるていどまでの水準の人生において、エゴは一種の”救命具”のような保護者的な役目をしている。

以上を、エンリケ・バリオス (著), さくら ももこ (イラスト), 石原 彰二 (翻訳)『もどってきたアミ―小さな宇宙人 (徳間文庫)』85ページより引用させていただきました。

面白いですね。

エゴは浮き輪のようなものだそうです。

地球人はまだ一人では泳げないのでその浮き輪を取ったら大変なことになってしまうとのこと。

しかしもっと上の水準に進歩したければ浮き輪なしで泳ぐことを学ばなければならないそうです。

エゴなしに生きることを学ぶ。

まさにそれはスピリチュアルの担うべき領域です……たぶん。
ひょっとしたら違うのかな?

いやむしろ逆なのかも知れない。
エゴなしに生きることを学ぶには、もっと泥臭く自然と親しみもっと実際に体を動かすようなそういう生活が必要なのかも知れません。

あるいは徹底的にエゴに生きることによってエゴなしに生きることがどういうことなのか分かるのかも知れないです。

あるいは実際にエゴなしに生きてみて初めてエゴなしに生きる一歩なのかも知れません。

いくら自転車の乗り方を本で勉強したとしても自転車に乗れる保証はありません。
実際に自転車に乗ってみてやっと一人で自転車に乗ることができるようになります。

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