僕たちが、神さま。僕たちは、神さまの分身。 – やん神を読書2

僕たちが、神さま。僕たちは、神さまの分身。

以上を、金城幸政さん著 『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』の41ページから引用させていただきました。

だったらいますぐ地球から戦争を無くして見ろ!

核兵器を全部消滅させてみろ!

その目の前に米粒ひとつぶだってテレポテーションできないじゃないか!

となると思いますが

今までこの本を読んでみると、何でも出来てしまう意識の世界からわざわざこの不便で何もできない地球に生まれて来たのが、神さまである私たちのなので、何にも出来なくても問題はないことになります。

全知全能であるなんでもすぐに出来てしまう神さまが、そういう状態に飽き飽きして創ったのがこの地球なので、たとえ神であってもこの地球上では出来ないことがある。

全知全能であるが故に、神さまは、それをすることが出来ない、それを知らない、という体験でさえ出来てしまう!

流石神さま!

何も知らない、何もできない、そういう体験でさえ出来て初めて全知全能の神と呼べるので、この地球で神様が全知全能でなくても、別に問題はなく、神さまが好んで何も知らない、何もできない体験をしているだけ。

……とそうなるはずです。

この地球では、何もできない、何も知らない、そういう状態が当たり前。

それを不幸と呼ぶのなら、この地球では不幸であるのが当たり前。

人は不幸せで当たり前であり、だからこそ、幸せになれる。

不幸という状態を知っているからこそ、幸せという状態も知ることが出来る。

不幸を経験しなければ、幸福という状態を味わうことは不可能。

私たちは神さまであるが故に、わざわざ不幸な状態で生まれて来るとも言える。

不幸を知って初めて全知全能の神と言えるのだから。

幸福しか知らない神は全知全能とは言えない。

TAH03029

 

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