(目の前の現実はあなたが100%創り上げているので、あなたは映画の)監督であり、出演者であり、観客です。
以上、さとうみつろう (著), ダリル・アンカ (著)『その名は、バシャール』28ページより引用。
じゃあどうして自分の好きなように映画を創れないのか?
監督であり、出演者であり、観客であるからこそ好きなように映画を作れないんでしょうね。
監督であるのなら自由に映画を作ることが出来る。
しかし、出演者や観客は映画を自由には作ることは出来ない。
映画を自分の自由に出来ないからこそ、観客は映画を楽しむことが出来る。
観客は自分が監督であり出演者であることを忘れているから映画を楽しむことが出来る。
これって、元々神さまである自分がなんでも直ぐに出来てしまう意識の世界に飽きて、わざわざ制限があって不自由なこの世界に生まれて来た、という話しと似ていますね。
神さまである私たちは、自分が神であることを忘れているからこそ、この現実世界で様々な不自由や制限を体験することが可能になった。
自分が、どんな映画でも創ることが出来る監督であることを忘れているから、観客として映画を楽しむことが出来る。そして映画というのはたいてい不幸から始まる。不幸な状態から幸福になるから映画は面白い。
良いことばかり起こり、主人公の願いが何でも簡単にかなってしまう、そんな映画は観客にとっては退屈でつまらない映画だろうと思う。
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