「まじめに」の方向を間違えなければ。「一生懸命」をある言葉に置き換えることができたら。 「二枚目」じゃなくて、「三枚目」で生きることを決めたなら、あなたはきっと幸せになれる – やん神を読書2

あなたはきっと幸せになれる。
ただ、その「まじめに」の方向を間違えなければ。
ただ、「一生懸命」をある言葉に置き換えることができたら。
ただ、「二枚目」じゃなくて、「三枚目」で生きることを決めたなら。

以上を、金城幸政さん著 『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』の2ページから引用させていただきました。

実は聖書には「悲しむ人は幸いである」という言葉があります。

まさにその通りだと思います。

悲しんだ人しか喜びは味わえないからです。
喜びしか存在しない世界では喜びを知ることはできません。

私たちが何でもすぐ出来てしまう意識の世界に飽きてこの世界に生まれて来たのなら、実は私たちは不幸になるために生まれて来たとも言えるのです。

不幸な人しか幸福にはなれません。
すでに幸福な人が幸福に”なる”というのは不可能です。

幸福に”なる”ためには、その前に不幸な状態でないと不可能なのです。

つまり不幸な人は幸いなのです。
不幸な人は幸せに”なれる”から。

まじめや一生懸命、二枚目を目指して不幸になることは良いことなのです。
不幸な人は幸せに”なれる”からです。

本来は全知全能の神である私たちがわざわざ不自由なこの世界に生まれて来たのは制限(=不幸)を経験するためなので、この世界で生きるときに、自分を不幸せ(=不自由)だと考えるのは、自然で当たり前のことだと言えるでしょう。

MIL26094

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