「まさか、まさか、まさか、
君たちさ、まじめに生きてないよね?
まじめに生きよう、なんてしてないよね?」
以上を、金城幸政さん著 『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』の31ページから引用させていただきました。
話しをしてくれと学校に呼ばれた著者が高校生たちに向けて話をしたその第一声は、この引用した文章だったそうです。
まじめに生きることを教えるのが学校。
まじめな生徒が称賛されるのが学校。
さらに社会でも、まじめに生きるのが正しいことになっている。
でも、まじめに生きなきゃ!で生きる生き方は全然楽しくありません。
ワクワクしません。やる気が起きません。
私などは馬鹿がつくくらいまじめだったので、まじめが正しいこと、まじめがいいことである、というのをずっと疑ったことなどありませんでした。
でも世の中をよく見てみると、あまりまじめではありません。
まじめであることが良いことであるかのように宣伝するその陰で彼らはまじめをやっていません。
世の中とはそういうものです。
人はまじめであるべきだと相手をけん制しておいて、陰で自分達はまじめにやらないで、優位に立つ。
そんな感じの世の中です。
まじめがもてはやされるのは、それは競争に勝つためのひとつの戦略になり得るからでしょう。
相手をコントロールする手段としての「まじめ」の活用です。
なのであまりもまじめだと、彼らの戦略通りになってしまい、文字通りの”馬鹿”正直と言うことになってしまいます。
まじめに生きることは悪いことではない。
でも他人の都合で押し付けられたまじめさで生きるのは、ちょっと愚かかも知れません。
自分が心からそう思う「まじめ」で生きるのは楽しいしワクワクすると思います。
でも他人の思惑から押し付けられた「まじめ」で生きるのは、楽しくないしつまらないです。
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