バシャールのペーパーバック4の12ページには以下の様にあります。
感情表現とは、自分が無限のものとつながっている、ということを知ることです。
そして自分自身でつくりあげた自分という存在を、どの一部も抑圧することなく、フルに表現することです。
感情表現とは無限のものとつながっている、ということを知ることですとバシャールに言われても、いまいちピンときません。
感情表現というあまりにも人間的で現実的なものと、無限とのつながりという雲をつかむような話は、私の中では、うまく結び付きません。
さらに、自分という存在をどの一部も抑圧することなくフルに表現するというのも非常に非現実的に思えます。
自分の感情を一部始終抑圧することなくフル表現したら……。
だいたいどんなことになるか予想はつきます。
私の場合なら、いわゆる壊れた状態になります。
つまり感情表現においてもこういうことが言えるのでしょう。
異なる次元を見ることができて、この次元に応用できない人達は、クレイジーといわれます。
異なる次元を感じることができて、この次元に応用できる人達は、天才といわれます。
天才とクレイジーの違いは、前者は、人とのコミュニケーションのしかたを知っていて、後者は知らないということです。
前者は、統合された立場から物事を理解していて、後者は、分離した立場からしかものを見ることができないのです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック6―ワクワクを生きると自然に「いま」を生きられる (VOICE新書)』P.48-49より引用。
フルに表現された感情表現においては人とのコミュニケーションというのがひとつのポイントとなると思います。
まさにそこが天才とクレイジーの違いなのでしょう。
あるいは……そうではないのかも知れません。
というのは私は自分の感情を抑圧することなくフル表現したことはないからです。
感情をフルに表現できればそれ以外のことはどうでも良いことなのかも知れません。
あるいは感情のままに振る舞うのと感情を一種の芸術として表現するのは違うと言うことなのかも知れません。
この記事は、以下の本を参考にしています。
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