なぜ私は肯定的な存在ではないのか

バシャールのペーパーバック3の142ページには以下の様にあります。

自分が実際にそう信じていると心から思い込んで、行動しなくてはなりません。
外側だけで、私は肯定的に生きるといいながら、心の中で怖がっていてはなんにもなりません。

肯定的に生きるといいながらも、心の中では怖がっている良い例が「いまここ」の私にあるので、このことについて考えてみましょう。

この後、バシャールは以下の様に続けています。

明確に、本当に深いところで、わかる必要があります。
肯定的なものが、自分の人生を肯定的に創りあげていく、ということを理解する必要があります。
そして自分は肯定的な存在だ、と自分で決断できたとき、それ以外のことはあなたに起こり得ません。

さて……私は……
何年もそして繰り返しバシャールの本を読んでいるわけですから、かなり深いところまで理解はできているはずです。

しかし決して肯定的な人生を歩んでいるとは思えない。

何故なのか?

このバシャールの言葉からすると、私に足りないのは、「自分は肯定的な存在だと言い切る決断」だと思われます。

私はそういう決断はしていません。
肯定的な存在であろうとは思いますが、決断するまでは至っていません。

もし今の私がたとえ決断したとしても、それは表面上の決断でしょう。
内面まで染み渡る決断にはなり得ないように思います。

どこかにまだひっかかりがあって、自分に嘘はつけないと、どこかで思っています。
あとはやはり日常的に継続する不安と怖れが決断を妨げています。

MIL36045

この記事は、以下の本を参考にしています。

バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書)

コメント

  1. かず より:

    肯定的とはどういうことでしょう。バシャールによるとポジティブと言うのは統合すると言うことですよね。私は肯定的というのは受け入れることと解釈しています。受け入れる、自分と統合すると考えるとバシャールのいう意味とも合ってきます(少し強引かもしれませんが)。それが自分にとって良いものであれ良くないものであれともかく受け入れる。「こんなはずではない」と思っても取り合えず受け入れる(実際、そういうことのほうが多いかもしれませんが)。そうすると状況は好転するのか。必ずしもそうではありません。更に良くない方向へ行くこともあります。でもそれも受け入れる。こうなってほしいと一生懸命努力して行動する。結果はどうなろうと受け入れて次を考える。そうすると逆に結果にはあまりとらわれないようになってくるような気がします(というか、とらわれても仕方がないというか)。バシャールも、何となくそんなことを言っているのかな、と理解しています。

  2. バシャール研究家 管理人 より:

    こんにちは、はじめましてかずさん。

    いやあ~困りました。
    まさにあなたの言う通りなので、何もコメントすることがないのです。(^-^;

    ということで、これからも本ブログをよろしくお願いいたします。

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