バシャールはすべては中立で初めから決まった意味などないと言うが、だからと言って、すぐに世界を中立の目で見るのは難しいものがある。
人間だからどうしても意味づけをしてしまう。
だから意味づけのない世界と言っても、正確には、ある程度意味づけのない世界だろう。
そういう世界からこの世界を見てみるとどうだろう?
音楽配信サービス会社が、有名アーチストの一言で、ころっとその方針を変えてしまうのも、テレビに出ている学者や評論家が、その人の言っていることではなく、その人の肩書で評価されるのも。
人間が順位と所有しているもの価値の大きさによって判断されるのも。
価値そのものでさえ単なる意味づけに過ぎないのも。
長い歴史をかけ、そして世界規模で行われている壮大な意味づけ行為の集大成であろう。
バシャールはペーパーバック1でこんなことを言っている。
「あなた方個人、あるいは集団で考える想念が現実をつくってきました」と。
これは、あなた方個人、あるいは集団で意味づけたもろもろの事項がこの現実を作っている、と言い換えることができるかもしれない。
お金も単なる意味づけのひとつです。
お金がパワーを持つのは、みんながお金に対してあい変わらず、まったく同じ意味づけをしているからにすぎません。
法律も意味づけのひとつです。
法律がパワーを持つのは、ほぼ全員がそれに従うべき義務がある(あるいはその方がメリットがある)と意味づけているからです。
その証拠に猫や犬は法律には従いません。猫や犬に法律は無力です。
法律自体には物理的な強制力はないのです。
意味づけのもっとも面白いものが、競争による順位づけ、です。
競争による順位づけは、誰がどんなに頑張ろうが、どんなに練習しようが、どんな手を使おうが、一位になるのは一人だけです。
逆に言えば、どんなにサボろうが、怠けようが、1人だけは必ず一位になれる!ということです。
そしてここで意味づけにさらに意味づけが始まります。
一位はすばらしいと言う意味づけに、さらに、どんなに頑張っても一位になれるのは一人だけなんだから、一位ってもっとさらにすばらしい!となります。
一位の価値が、さらなる意味づけによって、また一段上がるのです。
以下の本を参考にしました。
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