思考が現実を創ると言う その二重構造

思考が現実を創ると言うのはスピリチュアル界では基本的な考え方になっているように思う。

バシャールも似たようなことを言っていて、「自分の信じることが自分の人生を作り出している」だとか、「愛と光だけを信じる人は、自分の人生の中で愛と光しか体験しない」などの言葉がある。

体験する物理的な現象と言うのは、何を信じているかによって決まると言い、何故なら、物理的な現実というのは幻想だからです、と閉めます。

物理的な現実というのは信じていることが創り出した幻想であると。

この「物理的な現実は信じていることが創り出した幻想」という言葉は二重構造を持っているように私は思う。

ひとつめが、この現実が夜見る夢のような儚い幻想である、というスピリチュアルな構造。

死んで目が覚めれば夢のようにこの現実は消えてしまうと。

逆に言えば現実のすべては人間の思考が創っているのだと。

ふたつめが、人間側の認識の特性に基づいたごく常識的な構造。

みなさんもうすうす感じているとは思いますが、人間は自分が見たいようにしか現実を見ていません。

カメラとしての目に映る映像は全員に共通ですが、その映像に対する解釈がそれぞれに違うので、実際的な見え方は個人個人で異なります。

蛇に怯えている人間が道端の曲がりくねった枝が一瞬、本当に蛇に見えたりします。
同じ場所同じ時間で別の人が見れば、それはただの枝です。

この現実が、死んで目覚めると夢のように消えてしまうスピリチュアル的な幻想世界でなくても、この現実は経験上ある種、全員がそれぞれにその人独自の(その人バージョンの)世界に住んでいると言えるのです。

スピリチュアル的に思考が現実を創っているとも言えるし、ごく常識的に、その人の考え方がその人独自の世界を創っている、とも言えるのです。

MIL39022

以下の本を参考にしました。

バシャール・ペーパーバック1―ワクワクが人生の道標となる (VOICE新書)

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