ワクワクする気持ちとは、自分の選んだ道をちゃんと進んでいるかどうかを教えてくれる肉体を通して翻訳された言葉なんだとバシャールは言います。

バシャールのペーパーバック1の71ページには以下の様にあります。

定義づけします。「ワクワクする気持ちとは、肉体を通して翻訳されて伝わる言葉、メッセージ」なんです。
どういう言葉かというと、「自分の選んだ道をちゃんと進んでいるかどうか」。
それを教えてくれる翻訳された言葉なんです。

ワクワクする気持ちは次の三つのことを教えてくれるそうです。

  1. 自分の道を教えてくれている。
  2. それをやれば努力なしで出来るということを教えてくれている。
  3. それをやれば非常に豊かに出来るということを教えてくれている。

バシャールと言えばワクワクです。

バシャールのワクワクに出会って早6年くらい。

思えばその間、全然自分の道を歩んでこなかった気がします。

というのは、あまりワクワクした気持ちを感じなかったからです。

頭では理解していても実際はワクワクしていませんでした。

結局のところ6年かけたけどワクワクが人を成功に導くのを私は証明できませんでした。

気持ちが真のワクワクまで行かなかったからです。

私は依然としてこの6年間、ネガティブを否定する非ワクワクな状態にいた気がします。

ワクワクを行動に起こして成功してみんなの見本になってやろう!という野望はついえました。

いまはただ単にやりたいからやっているだけです。

先日観た映画「利休にたずねよ」という映画の中で感動したセリフがありました。

「美は私が決める」という言葉です。

美は私が決めるという言葉は、映画の中では、利休が決める美だから価値があるというような解釈でしたが、本当は美は各個人が自分で決めるものだと利休は言いたかったのではないでしょうか。

誰がなんと言おうと自分がそれを美しいと思えば、それは美しいのです。

そういう意味だと解釈しました。

これは正しさについても言えると思います。

誰がなんと言おうと自分がそれを正しいと思えば、それは正しいのです。

それを誰かの美、誰かの正しさだけを、美とし、正しいとするから、世の中に争そい事や戦争が起きるのです。

私はこのブログをただ書きたいから書いています。

そして自分の書いていることは自分の中では正しいと思っています。

しかし一方で常に自分は間違っているのかも知れないという思いもあります。

結局のところ世に存在する人間の言葉には、必ず最後に、「だと私は思う」がついているのだと思います。すべての言葉にそれがつくものですから、皆がそれを省略しているのです。

本質的な目を持って世の中を見れば、そこに絶対的な正しさというものは存在せず、せいぜい私はそう思うとしか言えないと思うのです。

話しがずれてしまいましたが、結局私がワクワクできなかったのは、他人の価値観におけるワクワクを生きようとしたからでした。

自分の内面から湧き出すどうしようもなくワクワクとした感情ではなかった。

他人のワクワクだったから、行き詰ってしまったように思います。

MIL41043

この記事は、以下の本を参考にしています。

バシャール・ペーパーバック1―ワクワクが人生の道標となる (VOICE新書)

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