「存在」から最初に分化または派生するのは「知恵」、すなわち自己に対する気づき、自分自身が大いなる全てであるという気づきです。
以上を、バシャールと宇宙連合 (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.20より引用させていただきました。
以下に書いてあることをまとめてみます。
存在には目的が必ずしも必要ではない。
目的という概念が創られた以前にも存在は存在していた。
目的という概念は存在の中で創られた。
「目的という概念ができる以前からあったものは、別に目的がなくても存在し続けることができるというわけです。」(同書P.20)
……ということで
「存在」から最初に分化したのが「知恵」というのは、聖書のアダムとイブの話を彷彿とさせて興味深いです。
アダムとイブは知恵の実を食べて楽園から追放となりました。
さて
自分しか存在しない世界で、果たして人は、自分に気づけるのだろうか?
いや、質問を変えた方が分かりやすいのかも知れない。
パソコンのディスプレイにお絵かきソフトで白い背景に白い色で描いた時、何を書いたのか、他の人はわかるだろうか?
あるいは、背景が白で塗ることができる色も白しかないお絵かきソフトで白い色を表現できるだろうか?
色というものが白しかない世界で、自分の色は白であると、気がつくことができるのだろうか?
(自己に気づいたから白以外の色を創ることができた?あるいは偶然?偶然ってあり得るのだろうか?白以外のものができたので、自分が白であることに気がついた?白しか存在しない世界で白以外の色を想像できるのだろうか?)
次に
既に存在しているものは、目的がなくても存在し続けることはできますよね。
だってもう既に存在しているんだから……。
そして、その既に存在しているものに対して「目的」というものをアレコレ考えることも可能です。
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