ですから皆さんが宗教と呼ぶものすべて(すなわち、人々は指導者を必要とし、自分が神聖なる者以下の価値しかなく、そして神聖な者に審判される立場にあると思うことを探求する概念)は、常に大いなる全ての内部における分離なのです。この宗教と呼ばれる概念はすべて、指導者自身が無意識の中に存在する無力感の真只中にいるにもかかわらず、その力を維持してほしいとあなたに望ませることによって、他人に、自分の本来持つ力を委ねさせてしまうものです。これを人の無力さ、怖れ、審判を通して、もしくは指導者自身を大きく見せることを通して行います。人々は、自分は無価値であり、神聖なるものの一部ではないと思い込んでいるのです。しかし、自分が神聖なるものの一部であると知ることはすべての人のもつ権利です。
以上、ダリル アンカ (著), 関野 直行 (翻訳) 『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.59より引用させていただきました。
いろんなことがあった今だからこそ、ここに書いてあることが、真理だと思えます。もっと前だったら鼻で笑って一笑に付したでしょう。
まさにここに書いてあることは、真実だと思います。
そうやって人は自分のことを見失ってきたのだと思います。
全ての人はイエスのように生きることができる。
全ての人は、大いなる全てとつながっている。
全てはひとつである。
ひとつは全てである。
本当の自分には価値があり、神聖なるものの一部なのです。
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