雲 黒斎さん著の『あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に自我と真我について書いてあります。
いままで私は、エゴを消失させれば、そこに真我が残っていると思っていました。
しかし、この本では、エゴを消失させると、そこにあるのは「空(からっぽ)」だそうです。
そもそも「真我がある」という解釈自体が自我の仕掛ける罠だそうです。
何者かになろうとする(存在全体から分離しようとする)のが自我の特性であり、真我もその特性の結果に過ぎない。
真我になろうとすること自体が、自我の特性を示している。
結論から言うと、とこの本には以下のように書いてあります。
自分の存在の本質は、何者でもない。特別さなど、どこにもない。それが真実だ。
だそうです。
自我は「個」の消失を避けるために、「真我」に”何らか”の新しい「定義」をもたせ、「個としての性質」を継承させたとあります。
この「何か」を人は「魂」や「霊」、「心」「意識体」などと定義づけたが、「個」であることに変わりはなく、これらは「真我」ではなく「真我のふりをした自我」に過ぎないとのこと。
……ということで
ここまで来ると、これまでのスピリチュアル界の常識を覆す新事実って感じになりますよね。
真我は存在しない、真我と言う状態があるだけ……そうも言えますかね?
バシャール的には、大いなるすべてが文字通り大いなるすべてであり、それ以上でもそれ以下でもない、となりそうです。
大いなるすべてが存在している。ただそれだけ。
自我が存在するというのは幻想。自我は存在しない。
大いなるすべてがただ存在しているだけ。
いずれにしても、考えれば考えるほど、頭はパンクしそうになります。
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