雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本に
「いま」と「過去・未来」は、もともと存在する次元が違うんだ。異なる次元のものを一つの流れの中で解釈しようとするところに誤解が生じてしまう。
とあります。
以下に書いてあることをまとめてみます。
()内は私の感想です。
一般的に時間の流れは直線だと考えられている。
「過去」→「現在」→「未来」だ。
しかし
「いま」は体感できるが
「過去・未来」は体感できない
逆に
「過去・未来」についての思考はできるが
「いま」を思考することはできない
(思考によっては「いま」を正確にとらえることはできない気がする。一般的に「いま」と考えられるものは「過去」もしくは「未来」のどちらかに振り分け可能な単なる思考に過ぎない?)
つまり
「いま」は『体感(リアリティ)の次元』で
「過去」と「未来」は『思考(マトリックス)の次元』と言える
存在する次元が異なる
さらに、「過去」と「未来」を同時に思い描くことができないように
この二つも同軸では語ることができない
思考の流れは
いま、過去を参照するという流れと
いま、未来を思い描くという流れの
二つに分けられる
そして「時の流れ」という概念は
これら二つの間を結んで生まれる。
ゆえに
時の流れは、思考の次元内においてのみ存在するものであり
そこに「いま」は含まれない(次元が違うから)
(「時は流れている」と考えた時点で「いま」には生きていない?「いま」に時は存在しない……はずだ。)
……ということで、凄いですね!
本質的には、考えている間は「いまに生きていない」ことになりますね。
しかし、考えているのは、他でもない「いま」ですよね
思考している自分は「いま」に生きている……
(いや、思考している自分は常に「過去」か「未来」かのどちらかに生きている?厳密に言えば思考をしているのならいまに生きていない?)
なんと「過去から未来へ」という時の流れの中に「いま」は含まれていない!
何故なら「いま」は、それらとは別次元に存在するから。
そうですね……ある意味、「いま」というのは存在しない。
「五感で『いま』感知している」と「考えている」だけなのかもしれません。
これが「いま」だと「考えることができる」ということは、それは過去のものになったということでしょう。
「考えた」刹那、体感の次元から思考の次元へと引き戻されてしまう。
「いま」には時間的な幅は存在しないし、おそらく空間的な広がりも存在しないのでしょう。
「いま」とは(物理的に考えると)「無」、なのでしょう。
物理的な無が永遠に存在するだけで、それ以外のものは、思考が描いた幻想に過ぎない?
……ということで、このことについて考えると、私の思考では思考が限界に達します。
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