哲学とはただ単に「知恵」の部分から創造されたすべての異なる観点であり、そこから物理的現実世界の様々な分野が生じてくるわけです。
これらが皆さんを駆り立てるエネルギーであり、意識の力であり、この異なる観点を使って皆さんは、物理的現実と呼ぶ世界において創造性を探求するための道具を創り出しているのです。
以上、ダリル アンカ (著), 関野 直行 (翻訳) 『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.24-25より引用させていただきました。
さて、説明を試みようとしましたが、自分でもあまり理解が進んでいないので、無理でした。
ということで、ざっと以下、ここまでをまとめてみました。
「存在」の完全性そのものを体験するのは可能だが、説明するのは本質的に不可能である
存在を象徴的に「シンボルとして」表現し、知的に理解は可能
しかし、シンボルとして完璧に表現するのと、存在そのものを体験するのとはまったく違う
私たちが物理的現実の中で行うことはすべて、単なるシンボルでしかあり得ない。
夢の中のシンボルは、夢の状態で体験していることを一番よく表すように表層意識(肉体を持った自我の意識)によって選択され視覚化されたもの。
記憶が創り出す夢は、純粋に体験したことに対して、意識が納得するように創り出している解釈の連続。
夢の現実そのものは、「存在」のすぐ下の「知恵」のレベルで起きる。
物理次元の上部にあり非物理次元に属する。
夢は「知恵」レベルの体験であり、観念や感情、知性の部分は不必要
(ただし、夢の記憶として描写されるシンボルは、観念、感情、そして知性の3つの分野から選び出される)
「すべての場の統一理論」の中に、存在そのものの基礎を形造る物理的現実の「テンプレート」が含まれており、これら「テンプレート」から私たちが哲学的観点と呼ぶ「知恵」が発生する。
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