人間は「さとり」で生まれ、成長過程で「さとりを閉じる」。そこを経緯して「さとりを開く」。最初に「閉じて」いなければ、「開く」という経験ができないだろう。 : 雲 黒斎著『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』をバシャール的に読む

雲 黒斎さん著の『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』という本によると、

人間は「さとり」で生まれ、成長過程で「さとりを閉じる」。そこを経緯して「さとりを開く」。
最初に「閉じて」いなければ、「開く」という経験ができないだろう。だからこそ、あえて閉じる必要があるんだ。

とあります。

とは言うものの現実はゲームであるというこの一連の考えというか真実は、受け入れ難いものがあります。
頭ではそういうことはあり得るかもしれないと思いつつも、それをそのまま受け入れて確固として信じるまでには至っていません。

また現実はゲームであるという真実はバシャールからの情報とも一致します。
いえいえ今まで私が読んできたいわゆるスピリチュアルと言われる本の言っていることをわかりやすくまとめてしまうとこの「現実は神である自分がつくったゲームである」という結論になってもおかしくありません。

でも、でもですよ、ということはこの宇宙に存在するすべての生命体は自分が操作しているゲームキャラクターのひとつに過ぎなくなります。つまり宇宙に存在する生命のすべては自分である、となります。

街を歩いている見知らぬ人々、テレビで輝くスター達やアイドルも、ニュースで伝えられる残酷な犯罪者も、みんな自分ということになります。

戦争は自分で自分を殺し合うことだし、オリンピックでたった一つの金メダルを目指すのも全員自分です。

自分以外の人間もすべて自分だなんて信じることができない。
でも、そのように信じることができないようにしたのは、他ならない自分……だとしたら、信じられなくても、特に問題はない気もします。

バシャールはこの現実は夢であると言いました。

もしこの現実が夢であるなら、夢の中に出てくる人々が自分である、あるいは自分が操作している、というのは充分納得がいきます。夢の中に出てくる人々は自分がつくって、そして自分で操作しています。

夢の中に出てきたAさんは、Bさんの夢の中でもAさんとして存在しているでしょう。
Cさんの夢でもDさんの夢でも、その中にAさんが存在できます。

でもどのAさんも、それぞれが自分でつくったAさんです。
Aさんそのものではないのは明らかです。


もっと あの世に聞いた、この世の仕組み

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